72回目の終戦記念日
東京大空襲・戦災資料センターの夏の特別企画展に行って来ました。
多くの方の募金によって維持・運営されている民設民営の施設です。
「建物疎開」の写真がありました。
広島でも「建物疎開」と言う言葉を被爆2世の方から聞きました。火事になっても、延焼させないよう空地を作るために家を壊すことです。
案内をする白髪のボランティアさんが語りました。
「東京大空襲は一夜にして10万人が亡くなった、4月、5月と空襲は東京にはあったが一番多く人が亡くなった空襲だった。
人口が密集していたからそのぶん被害が大きかった。
政府は知っていたはず。
空襲があれば燃えてしまうことはわかっていた。だから建物疎開をした。
それなら、なぜ逃げろと言わなかったのか。
逃げたら罰金1000円、あるいは懲役となぜしたのか。バケツリレーで鎮火させる、火タタキで消す。そう教育された。
たくさんの遺体を処理するために、お寺などに大きな穴を掘ってそこに弔った。
中国の長慶では日本が空襲をしていた。アメリカからやめるようにと言う、再三の警告を無視して爆撃を3年にも渡り、続けていた。
この東京大空襲は日本への、懲らしめだった。
これはね、今のどこかの国みたいでしょ。日本もそうだったんですよ。
でも、戦争はいけない。戦争はこういうことなんですよ。」
戦火の中、赤ん坊をおんぶして逃げ回ったが、背中の子どもは亡くなっていたという体験談が書かれた展示もありました。おくるみも展示されています。
その方は、再婚を薦められたけど、再婚はせずに、戦争で親を亡くした孤児たちのお世話をずっとしてきたとありました。
私の友人のおばあ様も、同じように背中におぶった子どもを亡くしています。
でも、友人がいるということを考えると、私たちは、生き残った人たちから生まれており、命をつないでいることを改めて感じます。
戦争は遠いことではなく、自分たちの祖父母は体験しているのです。
江戸川では、東京大空襲犠牲者慰霊灯籠流しが行われました。
旧中川での灯籠流しは、平成11年から行われ、今年で19回目です。
亡くなった約3,000人の方の鎮魂と、戦争はいけないということ、平和への願いを誓いました。