大阪豊中市のインクルーシブ教育は長い実践の積み重ねにあった
10月24日(木)に日帰りで豊中市のインクルーシブ教育を視察してきました。
大阪府豊中市南桜塚小学校と、豊中市児童発達支援センターに、関西におけるインクルーシブ教育の実践や子どもたちの様子、保護者の様子等について、理解を深めたいと、行ってきました。
南桜塚小学校では校長先生がお出迎えくださいました。
まずは、豊中市の障害児教育の映画(1979年)を視聴。障害のある子どもも、通常級で学んでいました。
豊中教組が中心となり、障害児にも教育をという運動を展開していきます。大阪では部落解放運動、在日の問題など人権意識が高いのです。当時は障害者を外に出さない家庭が多かったのですが、豊中労組では、教育委員会にかけあい、就学猶予児童の名簿をもらい、一軒一軒訪問していきました。はじめは取り合ってくれない家庭が多かったとのことですが、次第に賛同してくれる家庭もでてきたとのことです。不就学親の会を作り、3巡目の家庭訪問では当事者とともに回り、理解が広まっていきました。当時は養護学校義務化の流れがありました。学ぶ権利の保障は必要でありますが、分けることは必要ないと、通常の学校で共に学ぶ形を作ってきました。
豊中では隔離されていません。原学級保障をし、原学級の担任、支援学級の障担がつきます。「学校現場に医療を持ち込むな。」ということだそうです。障害については医療モデルではなく、社会モデルを大事にしています。
学校内を視察しました。校舎は古く、木の床でギィギィときしみます。トイレは改装してありきれいでした。廊下には支援級在籍の子どもが制作した射的が置かれていました。人気だそうです。学芸会ポスターも支援級在籍の子どもが書いたものが採用されていました。教室入口には山型スロープが設置されていました。車いすで出入りしやすくなっています。ダウン症などの知的障害の子ども、重症心身障害児、全盲の子どもも同じ教室内で学んでいました。
私たちが視察しているときに、ずっとついてくる2人の女児がいました。途中で自然に教室に戻っていきました。あとで聞くと、校長室登校をしている子どもだそうです。
教員はインカムを使い連絡を取っているとのことでした。
支援学級在籍の子どもであっても、通常学級で学んでいます。支援学級の教員が通常学級に入り込み、指導をしているのです。その子どもの状態に合わせて、毎週入り込み時間は異なり、オーダーメイドの教育を提供しています。校長先生の言葉は、ユニクロ、しまむら出ない教育ということです。
教職員は豊能地区3市2町で採用、大阪府から人事権だけもらい、異動もこの中でのみで行っています。校長先生とともに、説明してくださった教員は電動車いすでした。 豊中市では55校のうち50校にエレベータが付いているとのことです。
支援学級の教室は使われていませんでした。
不登校の子どもは南桜塚小学校で2名とのことです。
説明をお聞きして思ったことは、校長先生が「熱い」ということです。豊中の40年以上にわたる実践に誇りを持っていらっしゃることがよくわかりました。文科省通知にも抵抗し、これまでのやり方を貫いています。
「障害者も、在日も、部落出身者も、共に生きることができる地域を作るためには人権を尊重すること、すなわち分けないことである。そこから差別も偏見もなくなる。」
ここには大いに同感します。お互いを知る機会がなければ、お互いがこわいままの存在となります。
また、「点数で評価したら個々の子どもの姿が見えなくなる。全国学力テストの点数だけを見るのではいけない。個々の子どもの姿を見ることが必要で、全体の関係性を見ること。能力主義の社会を作ってはならない。」ということも心に響きました。
豊中市のインクルーシブ教育は、学校だけを見ているのではなく、地域をつくるという、長い実践の裏付けがあることがよくわかりました。