パラリンピック学校連携観戦で思ったこと
新型コロナウイルスの感染が日々拡大しています。
連日テレビでは、入院できないという情報が流れています。
「こんなに東京がひどい状況だとは思わなかった」
上京している子どもが、新型コロナウイルス感染症にかかり、
「救急隊員に助けてください。」と懇願している姿。
一方で、
「パラリンピックが始まります。応援しましょう。」
聖火ランナーは街中をはしらなくとも、トーチキスの様子も流れてきたり…。
多くの情報に私たちは翻弄されています。
そして、今回、江戸川区ではパラリンピックの学校連携観戦が行われることになりました。
今は夏休み中。
パラ観戦は早いところは26日から。
保護者に手紙がインターネット経由で流れてきました。
中止してほしいと、様々ところからの声が、私たちのところにも届きます。
私たちもこの感染状況下で、観戦は問題と
パラリンピックの学校連携観戦の中止を求めて
区長と、教育長に申し入れをしてきました。
区長教育長ともに、
「学校行事と何ら変わらない。」
「学びを止めないためにも感染対策をして行う」
の一点張り。
「行きたいという声もある。
行かせたくないという声もある。
保護者には選んでもらうことはできる。」
ということです。
ここまでみんなの声を届けても、
中止とはならないなら、
ひとりひとりが意思を示すしかないと思いました。
子どもと話して、ご家庭で話して、自分達で考えて自分たちなりの結論をだす。
そして、
「いかない」
という選択をする。それしかできない。と思いました。
しかし、
保護者の方からは、
「内申に響くかもしれないから行かないなんてさせられない。」
「子どもは行きたいというのに、うちだけ行かないなんてできない。」
「この後の授業で取り上げられたらと思うと、授業に遅れるから行かせないことはできない。」
と言います。
行かせたくないけど、そんな判断はできないというのです。
先生からも、
「1人しか行きたいと希望をださなくても、バス1台仕立てて行くのですか?」
「この状況下で行かせたくないのですが…。連れていくしかないのですよね..。」
すごい同調圧力だと思いました。
そして、ここまで、私たちは、自分の考えを表明することができなくなっているのです。
「みんな違ってみんないい」
「お互いを認めましょう」
このことがどんなに大変なことか、つくづく感じます。
子どもではなく、親である世代さえも、これができないのです。
自分で考え、行動する。
もちろん私も、この「自分で考え行動する」ことが簡単ではありません。
尻込みすることは多くあります。
でも、今の私は、これを伝える立場にあります。
昨日は、有志の議員と、再び教育長に現場の声を届けてきました。
保護者の方が、悩んでいることもです。
この一連のことを通じて、思ったことがあります。
それは、
今の政府に不信感をいだき、不満感もたまっているけれど、
その声を表明する力すらない状況に多くの人があるのです。
私たちは変えられる。
ひとりひとりの声で変えられる。
そのことを忘れてしまっている。
NO!というちから。
「嫌だ!」って言っていいんです。
私たちがどこまでエンパワメントできるのか。
意見を言える人になる。
一人一人違っていいんだよ。
人と違った意見をいっても、おかしくなんてないんだよ。
それでも、同じ社会にいてもいいんだよ。
そんな社会を作っていきたいものです。
時間のないなか推敲する時間もありません。
とにかく記しておきます。
いましか書けない感情だと思うので。