発達障害児への向精神薬の服薬 2019年第4回区議会定例会
このテーマを取り上げるかどうか、そしてどう取り上げたらよいのか、かなり悩みました。
お薬は基本、医師の判断のもと、処方されます。
お医者さんにかかるのは、基本は自分の意志です。
でも、もしも、何かの支援や制度を使いたいと思った時に、「診断書を持ってきてください。」ということが前提となってしまうと、それは通らなくなってしまいます。
発達障害者支援法ができて、発達障害への理解が進んだことはよいのですが、一方で、今の社会の在り方が、少し窮屈になっており、特に子どもの育つ環境が制約の多いものとなっているように感じています。
さまざまな方から、子どもをめぐることのご意見を伺いました。
・障害児と薬は切れない。現実を知ってほしい。
・発達障害という魔女狩りだ。
・家庭でも学校でも大人が忙しく、子どもを丁寧に見ることが難しい。だから薬に頼らざるを得ない。
・子どもの医療費が無料なので、少しの体調不良でもすぐに受診できる。
・社会が不寛容。公共交通機関に乗りにくい。服薬することで、親も人目を気にせずに乗れるようになった。
・薬を飲むようになったら落ち着いた。
・特別支援教育の中で過ごさせたい。普通教育ではいじめられるばかり。
・道徳が教科化されたことで、同じ考えに導かれかねない。定型発達の子どもとそうでない子どもとへ、どんどん分ける方向にある。
他にも、さまざまあります。服薬については賛否両論です。
一方、大人の方ですが、「断薬した」。という話も伺います。
「ダ・ン・ヤ・ク?」
初めは何のことだかわかりませんでした。
大人の「うつ」に使われている薬は、中毒性のあるもので、覚せい剤の原料となります。
医師のもとに処方される合法の薬か、ドラッグとよばれる覚せい剤なのかの違いだけだと、その方はおっしゃっていました。
そういえば、かなり前に、イタリアが精神病院を廃止したことの映画を見たことを思い出しました。
「人生、ここにあり!」 1980年代のイタリアの実話を映画化したものです。
日本でも、病院から地域へという流れがありますが、多くの人は、薬さえ飲んでいれば地域で暮らせるはずと、薬の副作用を知らずにいます。
この映画は、精神病院から出され、行き場を失った方たちが地域でその個性を生かしながら暮らすものでした。
安易な服薬についても触れられています。
今の子どもをめぐる環境は、定型発達の子どもとそうではない子どもを分ける傾向が強まり、この映画にあるような、同調圧力が強い社会が安易な服薬につなげることになりかねないと感じました。
とにかく取り上げよう。
薬には作用と副作用の両面がある。
薬を飲む、飲まない自由は本人にあるのだから。
以下質問文です。
社会の発達障害への理解がすすみ、早期発見、早期療育することが子どもの将来にも有効であるということが浸透してきました。本区においても就学前に療育を行う、育成室や、民間の児童発達支援事業所に通う子どもも増えています。
また来年4月には、乳幼児期から大人まで切れ目のない支援を行うことができる、相談と支援を兼ね備えた発達相談・支援センターが小松川幼稚園跡地に開設されます。先日、内覧会も行われたところです。
外からはわかりにくく、支援が届きにくい発達障害のような障害に対して、適切な相談と療育がなされることが成長期の子どもには重要なことです。
一方で、子どもに関わる現場の大人や保護者が、早期発見、早期療育を心がけるあまり、医療につなげ、服薬をすすめる実態となることも否めません。集団の中で落ち着いて過ごせるようにと、「薬は飲んでいるのか。」「医療機関の受診をしているのか」と保護者が問われることがあると聞きます。ともすれば「薬を飲まないと登校させません。」あるいは「受け入れられません」と言われているように、保護者が受け取ってしまう状況に陥りかねず、その集団から困った子を追い出すことになってしまいます。
保育や教育現場では、職員に子どもたちを見守る余裕がないことや、子どもを預けている保護者も、子どものことより、周りに対する迷惑などを優先してしまうことが、薬に頼ることに繋がるのではないでしょうか。
子どもの服薬は慎重に行うことが必要だと考えます。
先日、小児科医・児童精神神経科医である石川憲彦先生のお話を伺いました。かつて、発達障害の一つであるADHDの子どもに、リタリンというメチルフェニデート塩酸塩製剤を処方したそうです。効く子どもには効果があり、注意力が続かず落ち着きのない子どもであったのが、机に向かうことができ、その結果成績も上がり、保護者には感謝されたとのことです。
しかし、先生にとって4人目の患者の保護者から、目がトロンとしている、これは薬物中毒ではないかと指摘されました。
たしかにメチルフェニデート塩酸塩製剤は、覚せい剤の原料となるもので、薬局でも厳重に管理が必要な向精神薬です。先生が、薬物依存というリスクがあるリタリンから離脱させるために、20代から30代の何人かと付き合い、その悲惨な様子を目の当たりにされました。
「全ての薬は毒ではあるが、生命に係るなど、飲まざるを得ない状況の時は飲む。ただし、いつやめるのか、目標を作り服用すること。発達段階にある子どもの脳に、薬を服用することで何が起こるかはわからない。症状が一生続くとすれば、薬も一生飲み続けることになりかねなく、何十年使っても人体に害がないのか、中毒や依存以外の問題はないのか明確にする必要がある。薬に頼るだけではなく、不注意や落ち着きのなさはどこから生まれているのかを見つけ、生活の中での原因をなくすこと」とおっしゃいます。
現在リタリンは、ADHDでの使用は禁止されましたが、小児向けの向精神薬が認可され始めています。今年はビバンセが認可されましたが、やはり、覚せい剤原料として指定されているものです。
そこで伺います。
保育園や、幼稚園、学校、すくすくスクールなど、子どもに関わる現場の職員は、発達障害児への服薬のリスクの認識を持っているのでしょうか。お聞かせください。
今年3月に、国連子どもの権利委員会は日本政府の第4回・5回統合報告書に関する最終所見を公表しました。その中で、「障害が社会の側にあるととらえることや、医療によらない治療を行うことをなおざりにしたまま、ADHDを伴う行動障害と診断された子どもの数が増えていること、薬による治療が増加していること」に対して深刻な懸念が示されています。そして、「ADHDの診断について徹底的に検討されるようにし、薬物の処方は最終手段として個人に合わせた判断がある場合のみに行われること。副作用について知らされること。医療によらない方法については、適切に確実に知らされるように。」と要請がありました。
発達に課題がある子どもが、受給者証を取得し適切な療育を受けること、あるいは学齢期において、特別支援教室などに通うことは、その子どもの個性を生かしながら改善することにつながると考えます。
発達障害への支援を受けるには、医療の判断は必ずしも必要ではないと考えますが、現状はいかがでしょうか。
また、発達障害に対する根本的な治療薬はないことや、副作用が起こりうること、薬によらない手段についての情報提供は各相談機関で行われているのでしょうか。 伺います。
最後に、来年、本区では一時保護所を併設した児童相談所を開設します。
東北文教大学の吉田耕平講師の調査によれば、2017年時点で入所している子どもの34.3%が向精神薬を服用していました。2007年に厚労省が行った全国調査では、服用率は3.4%であるので、この10年間で急増していることがわかります。
子どもの問題行動を抑制するための手段として、指導の代わりに向精神薬が安易に用いられるのだとすれば、人権侵害になりかねません。
Qこうした現状についてはどのように認識されているのでしょうか。お聞かせください。
区長と教育長お二方に質問しました。
区長は 支援は医療の判断を必要としないものもある。自分は、医師の判断は必要だと思っているとのこと。服薬のリスクについては、医師、あるいは薬局が伝えている。
保護児童へは、必要に応じて医療や薬物治療、合わせて心理社会的治療も行っていく。
教育長は、教員は専門的な医療的判断はできないため、医師の判断は不可欠だと思っている。保護者とは十分に共有している。
という答えでした。
私からは、医療の判断を必要としない支援、たとえば環境調整などや、講演会の開催を行い、この観点をより一層充実していくことを求めました。
多様性を認める社会を目指す中において、障害はその子どもにあるのではなく、その子どもと、集団という社会の間に障害があるということを念頭に置くことが言われてます。成長過程にあるということを前提にし、子どもにかかわる機会のある職員が心理士、作業療法士、理学療法士などとも連携し、長い目で見ていくことが必要です。
その時に、子どもにかかわる職員が、リスクの高い薬であることの知識を持つか持たないかで、子どもへのまなざしも変わると思いますし、保護者や本人からの相談に対しての受けとめも変わると考えます。
発達障害に用いられている薬は、医師の判断のもと処方されているものですが、覚せい剤成分と同様のものです。
集団にいることを目的とするのではなく、個性としてみとめられる社会をつくっていくよう、より一層の取り組みを要望。
そのためにも、子どもが意見を言えることを保障し、その意見をしっかりと大人が受け止め反映させることを要望します。来年開設する一時保護所については特に要望します。