チャイムのならない中学校 - 世田谷区立桜丘中学校の挑戦 -

桜丘中学校の西郷孝彦校長先生と

生活者ネットワークの仲間と世田谷区立桜丘中学校の学校公開(6月21日)に行って来ました。
公立中学校でありながら、校則もチャイムもありません。
子どもたち自身が、自分で考え、判断して、行動しているそうです。

学校につきましたが、受け付けに特に人がいるわけでもありません。名前を記入し見学をしていると…。

職員室前には、生徒たちが集まれるスペースがあり、4、5人の子どもたちが、Ipadを片手にしゃべっています。

「ハーバードでは…。」という会話が聞こえてきます。

時間割を見ると、いまは3時間目です。この生徒たちはここで過ごしているのか…。

そこを過ぎると、ハンモックにゆられている子どもがいます。この子どもは一人で過ごしています。

 

2階にあがると、教室がありました。中をのぞくと体操着の人、Tシャツの人。制服の子どももいます。

机の上にはペットボトルや携帯を置いて、授業をうけています。

(そういえば以前、千葉県の私立中学を見学行ったときも同じ光景がありました。授業中に飲み物をのんでよい、という感覚がなかったので驚いたことを記憶しています。)

包括支援員の先生が、一人の生徒を教室に戻していました。その生徒はしばらくすると教室から出ていき、隣のクラスにいきました。どうするのかな?と見ていたら、自分の筆箱をとってまた戻っていきました。

(周りの子どもも当たり前のようにしているので、いつもの光景なんだ…。)

校長先生にお話をお聞きしました。

 

取り組みは10年ほどになるとのこと。
映画「みんなの学校」をみて、が直接のきっかけだったようです。

どんな子どもにとっても、学校が居場所となること。これが大切だということです。

ちゃんと石けんを使用しています!

卒業後初めての赴任先が身体障害の特別支援学校。
そこにはたくさんの差別があったとおっしゃってました。

「教室が、子どもたちにとって楽しい場所であるなら、いてもよい場所であるなら、そこにいることができる。子どもたちの目が輝ける場所であるのかが問われているのだ。

職員室前に子どもたちがいることのできるスペースが設けられているが、そこにいられることも一歩だが、その後教室に戻すという、声かけもしなくてはならない。

教室にいない事が、常となり、いない事で楽であってはならない。」

お話をお聞きしながら、こちらもいろいろ考えが巡ります。

また、昨日はケンカがあったので警察を呼んだと。
法治国家なのだから法にのっとると。

「うーん。」と、私には思い込みがあったんだと思うことばかり。

お話しを伺っているときに生徒が入ってきました。

「荷物置かせてください。校長室は便利なんです。」

私たちのような客が来ていてもおかまいなしです。

「お菓子ちょうだい!」と女子ふたりが入ってきました。

これには驚きました。ずかずか入ってきて、ソファーに短いスカートをはいているのにもかかわらず、がばっと足を広げて座ります。もう1名は丈はふつう目の生徒です。

校長先生は、それをとがめるわけでもなく、私たちの会話にはいることも制止しません。
一眼レフを首から下げて、職員室を覗く男子もいます。

常に自分を問われる学校でした。
自分の価値観を問われる感覚。

きっと先生方も毎日そうだと思います。

「きまり」って、きまりがある事で、考えることをしなくて良いから、ある意味楽だと思うんです。決まりに従うことをよしとする日々が送れます。しかし、その決まりがない。ということは、自分で判断することが求められます。

それがないので常に、自分自身に問われる。

うーむ。

避難場所となる学校はすでに要配慮者の場などの見取り図もあります。

うーむ
うーん。

きっついな。きついだろうな。特に先生。

給食を食べ終わりお昼休みから、午後の授業開始の時間になりました。

先生はもう黒板前にスタンバイしています。しかし。生徒は教室の後ろにたまり、まだおしゃべりを続けています。先生は私たちと目があいます。しばらくすると、授業が始まりました。

校長先生はあと数年で定年だそうです。

その後はどうなるのでしょう。

先生は、べつに自分のやっていることを継承させようとも思っていない。でも、できるんだということを、知ってほしいということでした。

増えて欲しいと思いました。こうした学校。