東京ネットのスタディーツアーに参加しました。ー3日目ー
さあ最終日です。
明るくなってみれば、泊まったところは温泉宿だということもわかりました。そして結構すぐに町中に出ました。
山田町役場から、元職員の舟田春樹さんにお話を伺いながら現地を視察しました。
役場から海を見ると、左手には新しく建設中の防潮堤がはるかに見えます。被災前はT.P.6.6mの堤防を津波の既往最大高に余裕高を加え、T.P.+9.7mの堤防です。海が見えなくなるという議論もありましたが、この高さになったそうです。釜石市では海が見えるようにと水族館のように透明な窓を入れたということでした。
湾にいくと、正面がこの湾の入り江だそうですが、津波は右横からきたそうです。超えてきたのです。
水が引いたときは町はまだあったが、夜になり火災が発生して、焼け野原になったそうです。
昨日のゾンダハウスでの話しを思い出しました。山田町出身ではありませんが、大学に進学したら、あれほどのことがあったのに東京の人たちは何も知らない。震災を伝えていかなくてはならないと、現地ガイドを始めた学生の話がでました。
私も当時はテレビから流れる映像で見ましたが、5年も経つと意識しなければ過ぎ去られた事となっていくことを感じました。
現実に街を見ればまだ復興は先のことです。ようやく区画整理にめどがついてきたくらい、住宅を建てるのもこれからの事です。いまだ仮店舗で営業する商店が並んでいるのです。
今回の視察は地震と津波という天災と、そこから引き起こされた放射能という目に見ることのできない人災の現場を見てきました。
「産業がない貧しい地域だから、原発を誘致して、仕事を作り、個人も街も裕福になった。原発なければ生活できないよ」という声。
今回視察して、福島では事故の前から、福島ならではの価値を見つけ、里山という豊かな自然、地域循環型の街を作っていく取り組みがあったのです。
豊かさとは何か。
色々な価値観があるとは思いますが、私は今生きる人も、将来の子どもたちにも安心安全に生きていける社会を望みます。