第66回利根川治水同盟治水大会

利根川治水同盟治水大会に向かうバス

 

8月7日、千葉県野田市文化会館で、利根川治水同盟治水大会が開かれました。

新人議員の私にとって、何もかもが初めての経験です。建設委員会に所属していることから、庁舎前に横づけされた大型バスに乗り込み、参加してきました。

利根川流域1都5県の自治体等で構成する利根川治水同盟は、毎年、利根川水系各事業を推進するため、流域1都5県の各地で治水大会を開催しています。同大会にて、治水利水事業の早期実現に向け促進要望を決議し、政府関係機関に要望活動を行うというものです。

「関東平野の母たる利根川」という、一般社団法人 全日本建設技術協会 会長 松田芳夫氏の講演がありました。

38度の猛暑の中バスを降りて会場に向かうところ

カスリーン台風時の利根川の破堤の話、これは1947年9月に起こったものですが、68年も前のことですので、私も含め、経験していない人が増えました。

利根川上流、茨城県の栗橋あたりで決壊し、江戸川区にはその水が4日後に流れてきました。東京都への氾濫を防ぐため、金町の北の江戸川堤を開削したが、桜堤は破堤したとのことです。

1000年前の関東平野の水系では渡良瀬川、利根川、荒川すべて東京湾に流れていたそうです。それを利根川、荒川、太日川、鬼怒川の河道付替を行って現在があるのですが、地上は付け替えても地下水は以前のまま旧利根川の下を通って東京湾に流れているとの話も。

 

ところで私は以前、その当時90代の女性に、「荒川は水が入ってないころは歩いてたのよ」という話を伺ったことがあります。東大島と船堀の間の大きな川ですので、とても信じられなかったので、別の機会に他の男性に聞いたことがあります。でもその方は怪訝な顔をして、「ずっと前から川だよ。」との答えでした。

明治時代に大きな水害があったことから、荒川放水路として、岩淵水門から整備されたものですが、人間の力ってすごいですね。そしてその景色が当たり前になると、人工的に作ったものとは想像できないと思いました。

単純に土木事業ってすごいと思いました。

 

大きな災害から、人々の命を守るということでは、公共事業はとても重要なことです。

しかし、その裏には人々の生活があります。

千葉県野田市文化会館

今、その公共事業が本当に必要なものなのか、将来に向けて何を残していくことがよいのか考えなくてはならないと思います。

この治水大会に出て、1都5県が協力していくことには異存はありませんが、八ッ場ダムの本体建設工事の着工が実現したことを前進ととらえるこの大会には違和感を感じました。スーパー堤防事業もこの大会では、ほめたたえられる事業なのです。

決議においては私は拍手をしませんでした。

どうしたら、住民サイドに立った区政が展開されていくのでしょうか。身近な行政は区民の見方であってほしいです。

 

余談ですが、その90代の女性は区画整理事業も経験されたのでしょうか。戸建に住んでいたころの庭木を、マンションの共有地に植え替えたこと、そしてその当時を懐かしげにお話してくださいました。しっかりとお聞きしておけばよかったと今さら思うのですが、でももうそれはかないません。