東京ネットのスタディツアーに参加しました。ー2日目ー
2日目は、元東電の技術職員の方で、震災後退社し、一般社団法人AFWを立ち上げた吉川彰浩さんのお話を聞きました。Appreciate(正しい評価と敬意を含んだ感謝)、FUKUSHIMA(復興へと歩む福島県全体)、Workers(働く人たちへ)の頭文字を並べ「AFW」です。
「原発事故被災地の福島浜通りで次世代に残せるふるさとを創造すること」を理念に、福島第一原子力発電所の現状を伝える仕事をしています。今は除染服なしでゲートまで行ける。情報開示はHPでしているが、わかりにくい状況であることは事実。それをわかりやすく伝えることをしている。暮らしの視点で廃炉を学ぶ「学習支援」や、廃炉が終わった後も豊かな”ふるさとを作り上げる”地場産業支援、原発事故被災地域の理解向上を目的とした「現地ガイド」、福島浜通り地方の復興状況や廃炉の情報を共有する「講演会」を行っています。
今も6,000人が働いているそうです。原発がないと暮らせない街ではなく、廃炉と向き合う中で、新たな街を作る、ふるさと福島を大切にしている気持ちが伝わってきました。
さて、岩手県を目指して出発です。
次の目的地は、岩手県の山田町。延々と車に揺られます。
夕方小雨が降る中やっと到着しました。
この日は地元のお祭りがあるとのことで、子どもたちもこないかも。。。という状況でした。震災後に子どもの居場所と食べることを提供しています。
国際ゾンタクラブから2000万円の寄付をいただき、スタッフ人件費にも使うことができました。
机や物品は全国からの寄付で徐々に集まったそうです。山田町からの支援はないとのことでした。
あと3年はベルマークからの支援があるそうです。
5年間の登録は累計400人、震災後1年から3年は年のべ5,000~6,000の利用者数があったそうです。近頃は減ってきており常連が多いそうです。
日月休み、スタッフは14時入り、子どもたちは18時半から20時に来ます。まずは寄付されたパンを1階で食べてから、2階に上がって勉強します。
給付型の奨学金も出しているそうです。
利用の条件は、帰りはお迎えに来てもらうことだそうです。
年1回シンポジウムが東京であり、ここに通う子どもたちも参加しています。そこでの活動から、今日私たちが来ることを知り、来たいと言ってくれていました。
こういった経験も、子どもたちの未来へ影響を与えていることを感じました。決して進学率が高い地域ではないということ、高校も定員割れしているところではあるそうですが、将来への希望を持つ瞳を子どもたちは持っていました。
さて、宿に移動です。事務局から「やっと取れたところだからね」と何回も言われたことに不安が無きにしもあらず。真っ暗な道をバスは進んでいきました。宿に着いたら、開口一番9時までに入浴をしてくださいとのことで、今は8時。その前に食事を終えてください。とのこと。
やっと部屋に落ち着くとザーザーと雨の音がひどいことに気が付きました。テレビをつけると大雨警報と河川氾濫警報が出ています。一体私はどこにいるのだろうと、スマホを見ると圏外。焦りました。でももう疲れて爆睡です。
おまけ。この日の朝の出来事。
朝、農家民宿「ゆんた」の隣に住むおじさんが、わざわざ車をだして丘の頂上まで乗せてくれました。さるすべりは花の時期が長いので、楽しめるように植えているそうです。「帰りは歩いて降りておいで、途中にあさがおのトンネルもあるから」とおっしゃいます。気持ちの良い朝の散歩です。もどるとまたおじさんが待っていてくれました。朝食までのあいだ、とりとめのない話をしました。息子夫婦は震災後は別にすんでいるということ、原発はだめだ…等…。
あとから「二本松の花」というガイドをみたら、さるすべり園となって掲載されていました。協力料400円とも。あらあら、案内付きで無料で見せてもらってしまいました。